誕生日です。私のです。
Facebook というソーシャルネットワークで今だかつてないほどの、たくさんの友人たちからおめでとうって言われました。それぞれお祝いのことばの他に思うことを付け足して書いてくれます。
変わらないね、とか
変わったね とか
これからもよろしく とか
ありがとう とか
誕生日を登録しておくと友達になっている人のところに誕生日ですよ、って表示がされるのでそういうことが起きます
私はよほどのことが思いつかないかぎり、おめでとう、って書き込みませんでした。当たり前のことしかかけないとそれが表面的な言葉になってしまうかな?って。
でもたくさんの人からおめでとう!って言われるとうれしいものです。
それでネット上ではたくさんの人からおめでとうって言われました。
今日はずいぶんたくさん人にあいました。
でも今日が誕生日なんです、って会う人に言いたくなるところや
誕生日だから特別に過ごそう
誕生日だからどっかおいしいもの食べにいこう
誕生日だからなにか買い物(←スーパーではなくて)に行こう
って気持ちがまったくなかった訳ではありませんが、
今日はあえてそれを黙らせて普通に過ごしてみました
だって人に誕生日だって言われても私、そのときふさわしい反応ができるのかどうかの自信がないので。
しかしFacebookでお一人お一人のメッセージを読み、それにお返事する「文字化する」ことで自分のいま、自分の今までが見えるようでまるでバイオグラフィーワークのようでした。
Facebookの友達の良さは幅が広いこと。高校時代しかしらない友人から大学時代、独身会社時代に子どもが生まれて出会うことになった友人たち、全世界各地に友達がいて、それぞれの友達に お返事をする私はその時代の私を思い出し、そのたびにそのころの私が現れるからです。
今の私がここにいるのはそういう変遷を経ているし、これからも変遷していくのだろうと。
こうして日常の生活のなかでも気がつくことがたくさんあって、歳を重ねるというのは本当にたのしいです。
半年前から楽しみにしていた四十代。
やっと来ました。やった!って感じです。
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