べつにどこにも行きたいとは言わず家にいる娘の相手も歳の差があって共鳴しながら遊ぶことはむずかしく、かといって私の行きたい場所に連れて行っても小さかったときの彼女と行った様なよろこびは見いだせず、少し前の帰りたい、つまらない、と体一杯で表現することもなしに、ただ大人しくそばにいたりするのに気がつくと、なんだか出て行こうとしている彼女を精神で拘束しているような心持ちになる夏休み。こんなことを思うのもおおかみ子どもの雨と雪を読んでからはっきりしてきたことで、母親花が大人になった息子雨を山へ行くなと自分の目の届くところにおいて満足している様なでも雨の成長を願う自分とは違う行いをしていると気がつきながら生活し。ある時、息子雨が出て行ったらがむしゃらに追う場面ではなんと格好がわるい、女々しいと花の気持ちに隔たりをもって読んでいたのだけれど、二回、三回と読んでいたらその嫌悪を感じた行動はやはり自分の中にあったから嫌悪を感じたようで、そういうこと多かれ小さかれ私もつまり花とやっていることは同じだな、と気がついたそんな夏休み。段落を変えなかったのはそんなブツブツとした気分。
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