表現すること
それは観察することに尽きると思う
これは近所のR工房の佐野さんが作られた巳年の飾り
佐野さんは稲作をしているが、あるとき自分はお米をつくっているのではなく、(藁細工の)藁を作っているのだというようなことをおっしゃった。
なのでとても滑らかでバサツキが少なく、美しい藁。
藁細工にむく、稲の品種があってそれをときどきイノシシの出る田んぼで育てている。
昨年秋にチャボにからみついたアオダイショウを退治するのを見たが、切られてなお、まさにこうした顔をしてむかってきたのを見た。
この飾りに対面したときにイメージのヘビではなく、ヘビに内包する物がここに現れていると思った。
観察すること、まずそこから表現することがはじまる
ということでさきほど夜寝る前にしみじみ私の顔をみる娘に
「なにしてんの?」というと
お母さんの顔の観察
といって一部始終話して聞かせてくれた
「ここにたてに線が三本あって(みけんのシワのこと)
目はちょっとくるくる動いて、眉毛は自分のよりちょっとスラッとした山型で、鼻のわきが黒くて(やめてくれ〜甘い物が多いと小鼻の脇が赤黒くなるのだ)下(口のわきの老人線)までつながっていて、口の上はハートの形で下はちょっとまるっこくて、おやすみなさい」
そうやって人の顔を見たことがなかった
人が着ている服とかもれなく覚えてないし、幼稚園時代から娘が着ていった服がなんだったか思い出せないな、迷子になったらなんと答えよう、家にある服から引き算して答えるか、、
と思っていたのだ。
明日こそは彼女の着ていく服を注視してみよう。
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